築地本願寺や湯島聖堂の設計者として有名な伊東忠太。明治期に彼が見たトルコ はどんなものだったのでしょうか。今回私がトルコ へ行くきっかけとなった本がとても面白かったのでご紹介します。
「明治の建築家 伊東忠太オスマン帝国をゆく」
著者はジラルテッリ青木美由紀氏。日本人で、美術史家。イスタンブール工科大学の非常勤准教授補もされている方です。
明治期の建築家、伊東忠太の世界一周旅行の旅行手記を丁寧に読み解き、とても分かりやすくまとめている本です。
伊東忠太ってどんな人?
1867年山形県米沢市生まれ。現在の東京大学工学部で建築を学ぶ。のちに工学博士・東京帝国大学名誉教授となる。それまでの「造家」という言葉を「建築」に改めた人物。デザインも意味に含めたかったのだそう。日本建築を本格的に見直した第一人者で、法隆寺が日本最古の寺院建築であることを学問的に示し、日本建築史を創始した。
当時は世界的に建築の学問書は少なく、欧米で出版されたものはアジア建築を見たこともないにもかかわらず、アジア建築は下等だと記されていた。それに憤慨した忠太は日本建築のルーツを探るべく、自らアジアを訪問して研究した。この時代の留学先といえばドイツかイギリスが主流だったが、どうにか掛け合い国費で世界旅行を単身敢行した。
どんな旅をしたの?
1902年〜1905年の3年3ヶ月に渡り西回りで世界一周した。中国から始まりミャンマー、インド、イスラエル、エジプト、イタリア、オーストリア、ハンガリー、ドイツ、ブルガリア、トルコ 、ギリシア、フランス、イギリス、アメリカなどを旅しながら各地の建築を見て回った。その内容は12冊ものノートに記されており、建築の寸法やデザインを細かく記録している。
建築だけでなく旅費や移動の詳細も細かく記してあり興味深い。更に彼は筆まめで、ほぼ毎日家族や友人に手紙を書いておりその手紙のほとんどが残っている。
忠太の魅力
忠太は「妖怪研究」という本を出版しており
「とにかく私は化け物というものは非常に面白いものだと思っている」
と書いている。建築家って堅いイメージがあるけど、妖怪好きって言われるとどんな人物なのか興味がわいてくる。
忠太の手記には建築の記録と共に普段の生活の記録も記されている。日露戦争真っ只中の道中での対応。日本人が目立つ中、見栄を張って高い船室を利用してみたり、生まれたばかりの子供と奥さんを気遣う手紙も出している。
ブルサで混浴する妖怪 刀を持ってノミと格闘する忠太
画家を志していたくらい彼は絵も上手で手紙に挿絵も描いている。なんとも微笑ましい挿絵。
忠太の人間味が垣間見れるところに魅力を感じるんだろう。
忠太ゆかりの場所へ
そんな忠太はこの旅でイスタンブールに一番長く滞在しており、モスクや教会など多数訪問している。もちろんアヤソフィアとブルーモスクも見ている。
忠太がお世話になったという中村商店跡地に行ってみた。当時日本人がトルコ で経営していた唯一の日本商店だ。

この本に書かれている住所を頼りに行ってみたが、石碑があるわけでもなく本当にこの場所に中村商店があったかは確かめようがない。でもきっとこの辺りの建物はあまり当時と変わっていないんじゃないかな。ここから忠太も同じ景色を見たのかと思うと気持ちが踊る。この建物の上階からは海がよく見えそうだ。
この辺りはペラ地区という繁華街。当時ペラ地区といえば正装して行く場所だったそう。こんな一等地に日本商店があったなんて、すごいよね。

ガラタ塔を経由して川沿いまで下る。

次はお待ちかねのサバサンドだー!
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